設立年
1882年
創設者
ヨハン・アドルフ・ハンハルト
地域・国
スイス、ディースゼンホーフェン→ドイツ、フィリンゲン=シュヴェニンゲン
概要
ハンハルトは1882年にスイス人時計師のヨハン・アドルフ・ハンハルトによって、ディースゼンホーフェンに最初は時計店として創業しました。このディースゼンホーフェンはIWCで有名なシャッフハウゼンのすぐ近くのスイスとドイツの国境近くの町で、1902年には南ドイツのフィリンゲン=シュヴェニンゲンに会社を移転。ここからはドイツの時計ブランドとしての歴史を歩んでいます。
会社が大きく発展したのは、1920年代で、特に24年に創業者の息子のヴィルヘルム・ユリウス・ハンハルトが史上始めての安価なストップウォッチの生産を開始したことが飛躍のきっかけになります。34年には製造部門をギューテンバッハに移転。
そして、1938年に同社初の腕時計で現在に至るまで代表的なモデルとして知られるワンプッシュクロノグラフのプリムスを発表。翌39年にはパイロット用クロノグラフのタキテレとレプリカを発表。
いずれもドイツ軍に使用され、特にタキテレはタキメーターを搭載していたことからドイツ海軍の砲兵部隊に絶大な支持を集めたそうです。
このクロノグラフは当初からプッシュボタンが赤く塗られていたことで知られますが、これはパイロットが不意にストップタイムをゼロに戻すことがないように、という意味だそうですが、いつしか、出撃するパイロットの妻や恋人が無事な帰還を願って赤いマニュキュアでボタンを塗ったという伝説が生まれています。
こうして、大戦中は軍用時計として使われたハンハルトですが、43年ごろには混乱と資材不足から時計製造ができなくなり、大戦後の48年にようやくスイスで生産を再開。
レプリカはドイツ空軍とフランス空軍、タキテレはドイツ海軍で採用されて、さらに医者や事務職のためのクロノグラフとしてアドミラルを発表し活動を活発化させますが、62年頃には国軍の納入業者から外れたことと、競争激化のため、腕時計の製造から撤退して、ストップウォッチメーカーとして生きていくことになります。
70年代には自社でクォーツムーブメントを開発して、アラームクロックやストップウォッチに搭載し、安価なアジア製のクォーツに負けること無く、会社の存続に成功していきます。
そして1997年、ハンハルトは満を持して、機械式時計復興の波に乗って、ETAのムーブを使用したレプリカとタキテレを再生産し始めます。
このコレクションは大戦中のモデルのデザインをかなり正確に再現しており、コインエッジ、赤いプッシュボタン、大きめのりゅー図、ビス止めのベルトなど、古いパイロットクロノグラフの雰囲気を出していて、時計ファンに好評を博します。
こうしたクロノグラフの成功と、ストップウォッチの世界でもラリー用やサッカー用の製品で成功し、社業を拡大。2008年に再びディースゼンホーフェンに本社を移し、社業を発展させています。
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