設立年
1833年
創設者
アントワーヌ・ルクルト
地域・国
スイス、ル・サンティエ
ジャガールクルトは、スイスの高級腕時計メゾンの中でも屈指の実力を持つ存在で、これまでの歴史で数百の発明と千種類以上のキャリバーを開発しています。
その始まりは、1833年にアントワーヌ・ルクルトがスチールから時計のカナを切り出す機械を発明して、ル・サンティエに小さなアトリエを開いたことにちなみます。
ルクルト家は、16世紀にフランス人のユグノーであった先祖が宗教的な迫害を逃れて、フランスのリジー=シュール=ウルクからジュネーブへ逃れてきた時点までさかのぼります。16世紀中頃のスイス・ジュネーブというと、歴史の教科書を紐解くまでもなくジャン・カルヴァンの神権政治の時代。
旧教から逃れてきて、このスイスの地に根付いて現在のスイス人を形作っていったのはよく知られた話です。
ピエールルクルトは1558年に住民として認められ、翌年にジュウ渓谷に土地を得て、そこに小さなコミュニティを築いていきます。1612年にはピエールルクルトの息子が教会を立てて、それがル・サンティエ村の始まりとなりました。
アントワーヌ・ルクルトは時計師として優れた才能を持っていて、1844年に世界で最も正確な測定器ミリオノメーターを発明し、47年には巻き上げと時計のセッティングに鍵を必要としないシステムを開発します(竜頭巻時計)。
1866年には、アントワーヌと息子のエリーはジュウ渓谷に初の本格的なマニュファクチュール、LeCoultre&Co.(ルクルト)を創設します。当時も今もスイスの時計産業は分業制が発達していて、多くの家内制手工業じみた工房から部品が集まってきて、最終的な製品に仕上げていくという形式をとっていますが、そうした中でルクルトは19世紀中盤という早い時期に全て自社で行うおちう方法論を発明したのです。
ルクルトの工房は成功を収め、1870年には従業員500人を超えるグランドメゾンとなります。
そして、1903年。アントワーヌの孫のジャック・ダヴィド・ルクルトは、フランスの時計師エドモンド・ジャガーから自らが発明した超薄型キャリバーを開発製造してほしいとの依頼を受けます。1907年にはキャリバー145を完成し、世界で最も薄い懐中時計を制作します。
エドモンド・ジャガーはフランスの宝石商カルティエと契約を結び、全てのジャガーのムーブをカルティエ専用とすることとなり、そのムーブはルクルトで製造されました。このときから、ルクルトとカルティエの関係は続きますが、当時は世界初の市販腕時計をカルティエが販売し始めた頃で、カルティエのこうした挑戦を支えたのは実はエドモンド・ジャガーとルクルトであったと言えましょう。
このジャガーとルクルトの協力関係はその後も順調に発展し、1937年にはじゃがルクルトが正式に誕生します。
また、ルクルトの優れた技術はスイスの時計業界でもおおきな評価を得ていて、かのパテックフィリップも1902年以降30年にわたりルクルトのムーブメントを使い続けていました。
ジャガールクルトは自社ブランドで完成品を販売するメゾンであると同時に、他のメゾンにムーブメントを提供するサプライヤーでもあり、また北米市場ではさらに1980年代に至るまでルクルトブランドでの販売が並行して継続していたことから、若干の混乱が有ったようです。
2000年。ジャガールクルトはカルティエが中心的なメンバーとして存在するブランドグループのリシュモンに参加。現在ではリシュモンの一員になっています。
ジャガールクルトの歴史的マスターピースと言えば、前述のミリオノメーター、鍵なし時計のほか、1866年には時計製造史上初のグランドコンプリケーションを発表。こうしたジャガールクルトの技術力の高さは特にマニアックな時計ファンの間では広く知られています。
現行のコレクションは日本市場では、レベルソ、ランデブー、マスター、ポラリスといった処。レベルソは長方形のケースに入ったいかにもなドレスウォッチなのですが、ケースが反転して時計のガラスを守れるようになっているのが最大の特長。これはポロ競技の際に時計を傷つけない為のギミックです。
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